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無題A-003

僕は彼女にマウントポジションを取られ、首を絞められている。

彼女は本気だ。

目がヤバい。今度の今度こそ殺される、そう思った。

「…なんて、」

目の狂気は納めないまま、彼女は手を少し緩めた。
「アンタを苦しめるためにこんなコトしたって無駄かもね。」
「ゲホッ、ゲホッ。」
僕は急に入ってきた空気に咳き込んだ。
「だってアンタは――、」
彼女は再び手に力を込めた。

 
 
「死にたがってる。」
 
 
 
 

その言葉を聞いたとき、僕は心臓が止まるかと思った。
狂気を帯びたその目は、まっすぐに僕を射抜いていた。
僕の、僕さえも知らない芯を。

 
「だって、そうだ。どうせアタシの力じゃアンタの首はへし折れない。でなきゃそのへらへら顔を浮かべてなんかいられない。
 やっとだよ、やっと。アンタがリスみたいな怯えた顔を見せたのは!」
 

彼女が口の片端だけを上げて嗤っているように見えたが、僕はもう自分のことで精一杯で彼女の様子を見ている余裕はなくなってしまった。

 
僕が、死にたがり…?
 

考えたこともなかった。彼女の言うとおり、僕はのうのうと人生を生きてきた。それも、他人に殺されそうになるくらいに。
それでも、死ぬのは怖かった。いざ、「あんた、明日死ぬよ」と言われれば泣いて命乞いをしただろう。たとえ生きる意味のない人生だとしても。

しかしその一方で、生きることに冷めた自分がいた。

「おまえ、本当に生きたいのかよ。おまえに生きる意味なんて無いのに?」

今の生活は恵まれていると思っている。こんなダメな僕でも仕事に就け、衣食住に不満はない。不満はないが、生きる目的も無かった。
 
「いいんじゃん?意味ないんだったら頑張って生きなくても。」
 
その通りだった。外の世界はストレスに満ちている。ちょっとした嬉しいこともあるけれど、辛いことも多かった。
 
(…なんのために、頑張っているんだろう…?)
 
辛いことに直面するたびにそう思った。辛いことは乗り越えなくちゃいけない。そのために過去は必死に忘れようとした。そうして、ああ、今日も一日終えることができた、と嘆息するのだ。毎日、ストレスに耐え、それを忘れられるよう頑張って生きた。

 
今日を生き抜くために早く今日が終わることだけを考えていた。
明日になれば辛い今日のことは忘れようと努めた。
昨日を過去に閉じこめ、思い出さないように固く封をした。
 

過去を持たない僕に、生きた足跡である『人生』など有るはずもなかった。
有るのはただ、時間としての未来だけ。t が今より大きいだけの、不確定な、1秒待てば向こうからやってくる世界だった。

そんな未来に、希望など持てるはずがなかった。
毎日頑張って迎える未来には何があるのか。
僕は答えを知っている。

 
 『死』だ。
 

僕は毎日死ぬために生きている。死ぬ日を心待ちにしながら生きている。
死んでやっと、「ああ、ストレスから解放された」と嘆息して死んでいくのだ。ストレスから解放されることだけを願い、それを叶えて死んでいく。僕の人生は、それだけであるように思えた。


「やっと、気づいた…? 自分が死にたがりってことに。」
僕は意識を少女に向けた。少女は未だ僕の首を締め付けている。彼女は僕を殺そうとしている。なのに、呼びかけられた声は優しささえ含んでいるように思えた。

「受け入れなさい? アンタはここで死ぬの。死ぬ勇気もないアンタに代わって私が終止符打ってあげるわ。感謝しなさい…!」

ぐっ、と彼女が力を込めた。
「………!」
ついに彼女の手は頸動脈の血流を完全に止めた。頭が痺れていくのがわかる。顔に濁った血が溜まっていく。酸素も吸えない。口はパクパクと酸素を求めるが彼女の手がそれを許さない。意識など、一瞬でも気を抜けばダウンするのは明白だった。


 
…これが死か。
 

朦朧とする頭をひとつの言葉が駆け抜けた。これが死なのだ。“死にたがり”の自分が求めていた、ひとつの答えのはずだった。

つ、と不意に涙した。

死を本気で意識した途端、勝手に涙がほおを伝った。
願い願ったはずの死を前にして、その意味を知った。
自分が今までしてきたこと。
自分の生きた意味。
自分が嬉しかったこと、哀しかったこと。
自分を世話してくれた人。
そしてこれ以降の自分。
それら全てが、『無』に消える。それが死だった。

ただただ、悔しかった。

他人が尽くしてくれたことを、『無』にしてしまう自分が悔しかった。

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